アントニオ・カナーレス、ホアキン・コルテス、ハビエル・バロン…。
1960年代生まれの男性フラメンコダンサーたちは1980年代後半から90年代前半にかけて、それまで沈滞気味だったスペイン舞踊・フラメンコを一挙に活性化した。その一人がアドリアン・ガリア。スペインではファーストネームのアドリアン、だけの方が通りがいい。
舞踊家の両親のもと、アルゼンチンはブエノス・アイレスに生まれる。13歳でスペインに渡り、スペイン国立バレエ団付属学校で学び、1982年には同バレエ団に入団。同バレエ団で研鑽を積み、後、ラファエル・アギラール舞踊団などで活躍。マイヤ・プリセツカヤ、シルヴィ・ギエムらとのバレエ・ガラにも出演した。1993年にクリスティーナ・オヨスの相手役としてその舞踊団に迎えられるが、1996年には自らの舞踊団を結成。1999年にはスペイン国立バレエ団に振付作品を提供するなど振付家としても活躍。2001年から日本で教授活動を行うが、2004年ガデス舞踊団再結成のためスペインに帰国。
《アンダルシアの嵐》であなたが村長を演じるとは思ってもみませんでした?
「そう?」
あなたの村長は作品に重みを与え、《カルメン》や《血の婚礼》を踊っているときよりも、より“アドリアン”的であると感じます。
「そうだね。ほかの作品では、僕はまずマエストロ・ガデスの身体に入って、そこからどうでていくかを考えなくてはならなかった。彼の作品に外側、表面から入っていくことはできません。ガデスの美学には、内側から入っていかなくてはならない。だからこれまでの作品では僕は内側から入っていきました。彼の踊り方、ではなく、彼の舞踊のとらえ方をものすごく勉強しました。多くの人が、『全く同じだ』『ガデスが生きているかのようだ』と評したけれど、それは僕にとって意味のあることでした。もしコピーだ、といわれたのだったら、違うけれどね。ガデスが生きている、といわれたのなら僕は自分の使命を果たしたということなんです。そうして少しずつ、自分の個性をどうやってだしていくか、ということを学んでいきました。でも、この『アンダルシアの嵐』での村長は、すごく難しい役で、ステラがほかの誰でもない、僕にやってほしいと依頼してきたのでやることにしたのです。それはこの役をやるということだけでなく、舞踊団で一緒にやっていくうえで大切なことだったからでもあるんです。3年半もの間舞踊団でやってきて、アーティスティックな面だけでなく、パーソナルな面も大切だということに気づいたんです。自分の仕事を、ガデスの作品を愛していなくてはならない。そうでないと、長い間、舞踊団にいることは耐えられないだろうと思いますよ。」
《血の婚礼》《カルメン》とは役の作り方もちがうのでしょうか?
「もちろん。まったく違います。」
それらの作品ではおそらく何百回とガデスのビデオを観て、ガデスを内在化、消化して自分のものにしていったのではないかと思うのですが・・・
「その通りですね。」![]()
ドン・ホセという役だけでなく、ガデス自身を・・・
「いや、ガデスの美学を、ですね。僕たちは“かたち”でそのスタイルを識別しているんです。
アントニオ・ガデスの舞踊には非常にはっきりした美学があります。僕たちの世代は常にそれをみつづけてきました。だから僕の世代の踊り手なら誰もが、僕がやったことをやっただろうと思います。僕たちの世代はテクニック面でその準備ができていますからね。でも、もうひとつ重要なのは“愛する”ということ。僕はずっと彼の作品、仕事を愛してきました。彼はその作品でも、発言でも、常に首尾一貫しています。僕にとってアントニオは憧れでした。ガデスは最も高いところに、僕が到達したいと思っているところにいたんです。だから、彼の中にあるもの、様々なインフォメーションを取り戻したいと思っていた。でも、ガデスという人物を伝えるには謙虚さが必要なのです。自分を忘れて、自分を消して、(ガデス)と一体化する。そうして後に、ようやく、少しずつ、自分(らしさ)がでてくるというわけなんです。」
その2では≪アンダルシアの嵐≫について語ります!
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